そのまま3年ぐらい経った頃、手術室に死んだ弟が現れ喋った、その様子が生々しくて、以来いつまでも忘れられない。自分の長男が声変わりして図体がでかくなるにつれ弟に似てきたから、つい重ねて思い出すのかもしれない。こういうモードに落ちると暫く気が沈むから抜けなきゃと思う反面、実は時々自らはまりに行く。
◆気にかけていたはずの夫や子どもたち、両親ではなくて、なぜ死んだ弟なのか?唐突すぎる。
→死んでいるからこそ来ることが出来た。感覚を否定したくないばかりに死者に意志を持たせるという暴挙^^;
◆そもそも時系列的に、私が手術したことを知らないはず。
→私自身や、両親のどちらかが死後、弟に教えたことにしよう。母には手術室に弟がいたことを話してある。ぽかーんとされたが。
恥ずかしい話、こうやって問答しているとホントに救われる。死に、その先があって、ちゃんと意味がありそうに思える。ただでさえ簡単に錯覚起こしまくるのに、今、見ている世界が全てとは限らないじゃないか。私はこれからも、脳内であのドアを開ける。最期の場所であいつに会えるまで何度も開ける。そして一番怖かった瞬間を想像して一緒にいてやりたい。
「想像力」(前頭葉)って、死を悼むことから発達したのか?弟の死は私にとってそれぐらい半端ない。お墓とか仏壇とか教会とか、そういう所へ行かなくても、目をつぶればすぐだし、気持ちは消えない。
======
火葬場で骨になって出てきたとき、担当者が平然と砕き始めたので(全骨埋葬じゃない地域だった)びっくりした。ふざけんな!と骨壺(1個がすごく小さい)を買い足した。仕方がない事とはいえ、大っぴらにはやるなよと思った。その後、分骨して持っていたが、遺骨は一か所にした方が良いということになり親に渡した。
神社の裏で見つけた。「ムスカリ」(別名ブドウヒアシンス)
花言葉:寛大なる愛、明るい未来、通じ合う心、失望、失意
お付き合いくださり
有難うございました(。◕∀◕。)ノ
子宮頸がんを治療したい予防したい |
0 件のコメント:
コメントを投稿
Enter your comment (。◕∀◕。)ノ