まとめページ

2016年9月30日金曜日

アレルギー性の咳

次男の風邪が治った数日後から、大人たちも咳し始めて、どっちがどっちにうつしたか、うつったかも分からなくなった。夫は内科で出されたアスベリンで治ったのに私はいつまでたっても止まらず、とうとう今日で10日目である。発作が出ると例の2回ずつの咳が出続け、その間息も出来ずに肩を丸めている。痰は少し出るか出ないか。特に夜は酷い。寝ようとすると咳が出る。今回のオトナ処方薬はこんな感じ。
アスベリン単独では咳は止まらなかった。基本、薬はセットで飲まないといけないのだが、眠気が凄くて昼はアスベリンだけにしたら逆効果だった。鼻水は垂れてこなくても喉に流れている。私の場合頸椎の位置も関係して後鼻漏になりやすいのかもしれない。筋力低下で、寝ている間に気道に入りやすくなるというのもあるだろう。咳の原因が、一過性の症状を過ぎて、アレルギー(過敏症や気管支狭窄)に進んだ場合、アスベリンのような咳中枢に作用する薬で鎮めようとすると肺や気管から痰を出せなくなって治りが遅くなる。

一般的にも、夜間は副交感神経が優位になり気道の筋肉が緩んで狭くなることで敏感になる。そこへ、吸い込んだ埃の刺激と、その刺激で増える鼻水が気道に流れ込む事象(後鼻漏)がプラスされ、おねむなのに自分の咳で寝られないという訳のわからなさが起こるようだ。

うちの寝室は、外の湿気・暑さ・虫で窓が開けられないし開けたくもない。(梅雨から秋まで)4か月間エアコンの除湿頼みだ。夫と次男が寝室に持ち込むおもちゃとぬいぐるみと、本の山も何とかせねば。奴らときたら、物は持ち込むのに持ち出さないので溜まる一方。アダンソン(小蜘蛛)がいるのも承知している。ダニを食べると聞いて友好条約を結んだ。しかしいくら小さくても生きていれば色々放出しているはずなのであまり近い所でうろうろされるのは良くない。活動範囲は限らせて頂こう。もちろん居ない時間は好き放題だろうし、その意味でも、カバー類は洗える物にして時々は丸洗いしたい。

さて、昼間は咳を我慢するか薬による眠気に堪えるか。どちらにしても集中は途切れ途切れ。一昨日は電話の最中に発作が出て、でも喋らないと話が終わらない。我慢してむせて爆音発したり、抑揚めちゃくちゃになりながら最後は「よろしくよろしくおねがいゲホゲホ!ではではごめん!」と終わらせた。それでもちゃんと翌日に物が届いたので、あんなんでも何とかしてくれたんだな、と有難く思う。(ところで、メールしたのに電話してくる人って何でそのまま返信で完結できるのが分かってても喋りたいの?)

会社で、約4m離れた所に座る隣の60代男性も同様の咳が続いていていて、今朝は蕁麻疹が出たみたいで休んだ。咳の仕方が似ていたんだよな~。

ハッと気付いたら明日から10月やんけ。ということは明日からスケートリンクが開くってことだ!早く治して先生に電話したい!!今年の目標は滑っても筋肉痛にならないこと!なんじゃそりゃ(笑)


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2016年9月27日火曜日

スタチン 1ヶ月目

あと一歩で、私は人じゃなくなっていたと思う))) 今思うとLDLが跳ね上がるのと同時期。一日中とにかく怠かった。まだ何もしてないのに動きたくなくて、やらなきゃいけない事のうち幾つかは、やらないまま終わったり、溢れ出たものだけ片付けるので精いっぱいだった。帰宅するとすぐにスマホ片手に寝転んで休憩。早い者勝ちで休憩。---こんなだった。ホントごめん。

更年期障害は、症状の予告なんてない。“ 動きたくなさ ” に段階があって、徐々に悪化するなんてことも初めて経験した。あのままいけば最後は何になっただろう。植物か何か?広汎全摘で卵巣が一つになり、残った一つも枯れることで、性ホルモンによる血液の質を保つバランス機能が落ちた。これが一番だろう。

健診でE判定が出るまで、怠さが更年期の症状であるとは考えなかったのか?実質被害が出るのは家事の面が大きい。しかし家事は、常に流れで動いているので直近(記憶の範疇とか)の比較だと質の差が分かりにくく、それが症状だと言い切れなくしていたように思う。万年凍土の部分が増えても、動きのある部分(見えている物)でしか考えないことで起こる錯覚もある。家族、特に子どもらにしてみれば逃げようのない世界だから適応するしかない。現に最悪だった2ヶ月間でも、全員それぞれの持ち場にほぼ毎日通っていた。こうして、実はとても良くない状況なのに、自覚に乏しいまま日々が過ぎた。

自分でもおかしかったのが、週に2~3回行う作業のやり残しの山を見て、何故やったのになくならないのかと思ったこと。(←バカか^^;) 「やってもやっても増える。もう嫌だ。」非難されようもんなら「じゃあお前やれよ。一番汚す奴がやれ。」と言い返す喧嘩になったって構わなかったので、自ら孤立に向かっていたと思う

今は思った直後にはもうやり始めている。やりたくなるのではなくて、考えずに出来るようになった。人間らしく生きるのに必要な事を、やりたくないというのは、死にたいと言ってるぐらいおかしい。今、家事について考えるとしたらそれだけだ。脂肪の蓄えはあるので考えなければ疲れない。片っ端から片付くからカゴはたいてい空か、下の方にちょっとあるだけ。それと、結果が悪くなければ、同じやり方でなくとも構わないと思うようになった。寛容さも出てきたよ、やったね。

このままスタチン続けて、自分を取り戻せますかねぇ。
あとは......部屋でスマホ見る時間が激減した。朝5時に起きて弁当作りとアイロンがけするのが辛くないどころか、目覚まし鳴る前に起きることも。それと、肘と膝の慢性的な湿疹がかなり消えてきた。薬は2週間分出されるので、途切れないよう内科受診している。来月下旬に採血予定。


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2016年9月24日土曜日

身軽になりたいw

次男が長男の部屋のドアを悪戯で鍵かけて閉めたら開かなくなった。ベランダ側の鍵も閉まっている。押して回す、古い鍵なので、いつもなら外からマイナスドライバーで開くのに、ダメだった。工具という工具を出し、考えられる限りのことを試した。やばいぞ~焦りがどんどん大きくなる~~。やらかした本人はうろちょろしては「あっち行ってなさい。」と怒られシュンとしている。さてどうするよと顔を見合わせ最後の手段。

長男の部屋はエアコンのホースを出す穴がなくて、サッシの上部についた小窓をずらしてホースを挟み、隙間を板で覆っている。そのため。小窓の鍵だけが開きっぱなし。椅子の上にジュラルミンケースを積んでその上につま先立ちして覗いてみる。頭から半身突っ込んで手を伸ばし、サッシ本体の鍵に......全然届かなかった。棒でガシガシやっても、固いのと、力のかかる方向が真逆でビクともしない。

さて、こうなったら頭から入るか足からいくか、そもそも誰がいくかw 部屋の内部には足場がないので頭は無理だろう。片足上げてみると何とか引っかけることができた。でも狭い。そこで小窓の網戸とガラス2枚とも外し、隙間埋めてるゴムと板も外してみた。汚れもあるので大変だったが侵入口は最大限開いた。もう一度足をかけてみる。今度は膝がかかったので腰まで乗せることができた。ふぅ。

しかし痛い。すごく痛い。薄いレールが集合した約5センチ幅に、豚の丸焼きが引っかかった状態だ。じっとしている間にレール1本1本の感覚がはっきりして、それと同時に痛みが増す。しばし動きが取れなくなった。「も、戻る、ちょっとムリだ...」と言うと、夫が「いけ!頑張れ!」と励ましてくる。45歳の豚の丸焼きを励ます57歳の絵面を想像してほしい。ただただ悲惨......。大丈夫だ脚から落ちれば大怪我にはなるまい。その怪我を最小限にするために一時的に懸垂で姿勢を保つ......保てない!ガラスにぶち当たりながら、ずるりと落ちた。あーやれやれ。あとは散らかった物と外した窓を戻して終わり。しばらくして見ると、体中あざだらけだ。特に腕や腿の内側の、皮膚が柔らかくて脂肪でふわふわした所がガリガリにやられているw

人間ていざって時こうやって、逃げ遅れた者から死んでいくんだな^^;せめて、腕だけでぶら下がったり、胸の高さの台に登るぐらいは出来るようにしておいた方が良いと思う。身軽さによって進路の選択肢が全然違ってくる。あと、ちゃんとした梯子は有った方がいい。庭用の巨大なのしかないので、小さいのを買いに行こう。(ついでに消火器も。)
膝裏 腿裏 腕裏 が痣だらけ。手足の見えない場所が全部痛い。

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2016年9月21日水曜日

楽しんでる? 高1の秋

長男関係

体調が万全ではなくて長時間いられなかったが、高校の文化祭を見てきた。息子の写真部テーマは「日本の和」ということで、苔の生えた木のベンチか屋根?の写真が展示されていた。クラスの出し物は人間UFOキャッチャー。ナニソレ......。夫曰く、都立っぽい自由な感じでいいんじゃない?とのこと。
↓これを声で操作しろと。「右~後ろ~ソコ!」とか言うと下に落ちてる景品を拾ってくれる。
通りかかりに軽音の演奏が始まりそうだったので覗いたらステージの横に息子がいた。何で?と思ったら、写真部の活動として撮影で入ったようだ。暗がりに次男を連れて入り、会わせてみた。家以外の活動の場で兄に会うのが新鮮なのか安心したのか、とても喜んだ。光る棒をもらって嬉しそう。音が大きくて嫌がるかなと思ったが、まだ一緒にいたいと言うのでしばらくこのままいた。
また別の日には、靴がきつい(28cmΣ(゜ロ゜))とか、秋モノが欲しいというので半日ショッピングに付き合った。あれこれ悩みながらモールの中を行ったり来たりして、ジャケットが欲しいと言いだしてびっくり。まあでも、着たい服を着ればいいと思うので、見た感じ“堅すぎない黒”辺りを選んでみた。グレーは似合ってなかったな。そもそも高男の私服の世界が分からなすぎて困るわ。聞いてくるくせに選ぶと「は?これ!?」とか言うし、何なんですかねもう。(こいつの血液型絶対Aじゃないと思う。)
お茶しながら、着まわしは重ね着を基本に考えると無駄が減らせるとか、流行が一定周期で仕組まれていることを話すと、いちいちびっくりしていた。秋口はボトムス丈をショート/クロップドからフルレングスに変えて、トップスは今着てるTシャツの上に羽織るものがあれば十分でしょ。(土・日以外は制服と部屋着なんだからw)それに、今持ってる靴や鞄に合わせることも考えなきゃ。とりあえず、高校生らしいカーディガンと、お一人さま用のジャケットを買ったので、また季節が進んだら中に着る物を足せば?ということで終了。あ=疲れた^^;
早速買った服着て、別の高校へ通う友だちの文化祭に行ったり、プールへ行ったり、家で夜遅くまでタコパーしたり。何だかんだ言う割に楽しんでいる感じ......に見える。


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2016年9月18日日曜日

治りそうで治らない

最も症状が酷い次男の風邪がやーっと治ったと思ったのに抗生剤切れた翌日また熱が38.5度まで上がり、寝る前には咳込んで吐いた。吐くと熱が下がる。金曜は私が一日休んで家で看護、土曜日午前の最後ギリギリで小児科へ行った。同じ時期に保育園の隣のクラスでヘルパンギーナが出たので喉が心配だったが、喉は綺麗で肺の音も大丈夫と言われた。連休に入ってしまうので念のため先週と同じ、症状を楽にする薬を出してもらった。(ホント言うと咳はアンパンマンシロップでも止まるんだが^^;)

それと今回の風邪で、おねしょが復活してしまい地味に困っている。最初は説得して紙パンツを夜間だけ履いていただいたのだが、履き心地が悪いのとプライドが許さないらしく、3回目でとうとう固辞された(笑)そして朝方「おもらしした......。」の声で起こされる。眠い目をこすりながら、ひたすら濡れシーツの処理をするわけだが、ニトリの全面防水敷きカバーのおかげでかなり助かっている。布団までは浸み込まないので、やらかした本人が一番気持ち悪い仕掛け。

やれやれ。やっと休みなので風邪を治すことに徹しよう^^;とはいえ用事も入っているので交代で留守番だな。

※抗生物質 クラリスロマイシンについて
風邪はウイルスによって起こる病気。それなのに何故ウイルスに効果のない「抗菌薬」が出るのか?薬局ではいつも「菌を殺すお薬です。」と説明される。細菌の蛋白質合成を阻害することで、抗菌作用を発揮する、とある。
これは風邪そのものを治すというより、合併症の、肺炎、中耳炎、副鼻腔炎などを防ぐためのものだ。酷くなりそうだと処方される。風邪で荒れた粘膜に菌が増えてこじらせると大変だから。今回は、最初の5日間、まず風邪症状を緩和する薬で様子を見て、咳が止まらず、喘息になりかけたので、抗生剤が出された。
クラリスの適応菌種は、一般的な感染症の原因となるブドウ球菌属、レンサ球菌属、インフルエンザ菌、レジオネラ菌、カンピロバクター菌、クラミジア菌、マイコプラズマ菌など。ヘリコバクター・ピロリ菌やマイコバクテリウム属への有効性も確認されている。
耐性菌の話を聞くと、良くないのかなとも思うが、いつも出された分は飲み切ってる。
42歳のネコをおぶる5歳(このぬいぐるみ、私が3歳の時からうちにいる。)



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2016年9月14日水曜日

そして全員風邪ひいた

まず長男と私がほぼ同時に具合悪くなった。2人とも37.5℃ぐらいの微熱で、鼻水咳は出ない。長男は塾を休んだ。「微熱ですが休ませます。」と言ったら、塾長が「ええ!はい!ぜひそうしてくださいお大事にっ!」って被せてきて、船橋市の塾で起きた結核の集団感染のことを思い出した。つい「授業1回いくら」で勘定して月謝勿体ないから微熱ぐらいなら行け!とか思ってしまうが、いかんわな。私は会社で調子がおかしくて、じっとしていられないような感じだったが、「熱を測る」ということを思いつかず、そのまま仕事していた。子どもの熱は真っ先に測るくせに自分の時は思いつかないw 私は初日の微熱だけで治った。

そのすぐ後に次男が熱を出した。朝・昼は37度ぐらいでも夕方は38度まで上がる。咳き込んでなかなか寝付けないし、夜中何度も起きる。目が片方だけ二重になって、その後両目とも二重になった。保育園は行けない。さて仕事どうするかだ。夫が全休、私が午後半休で決着。午前中は夫がみて、午後から交代し、夫は義弟の見舞いへ、私が次男を病院へ連れて行くことにした。

医師に、「使うかどうかは様子次第で決めるが書いてほしい。」とお願いし、「診療情報提供書」をもらった。ちなみに、うちの区は中学生までのこどもの医療費は全額無料。こうした文書も薬も無料なので病院へ連れて行くのに財布が要らない。翌日、何とかなりそうだったのと、本人が担当の看護師大好きで^^;行きたがったので病後児保育室(1日2,350円)を利用した。それ以外にもカメを飼っていたり、いつもと違うおもちゃがあったりで、そそられるらしい。実はこの頃、遠足を控えていたので大事をとる人が多くて混んでいたのだが、キャンセルが出たお蔭で入れた。半分寝て過ごせるし食事も個別なので回復期に1日でも利用できれば御の字である。迎えに行った時の様子で、翌日も利用しようかと思ったが、「もう元気です。」と言われたので通常に戻した。

次男の薬は、始めは解熱鎮痛と諸症状を楽にする薬だけだったが、再受診時に抗生剤3日分も追加された。喉は扁桃腺肥大、胸の音聞いたら少々アレルギーがあると言われた。この間夫も、怠くて喉がおかしいと言い、咳ばらいばかりして、龍角散を飲んでいた。

長男は咳も鼻も出なかったので、病院は行かず、家でカロナール飲んで寝て治した。1日ぐらい食べなくても大した影響ない。(←とよく医者に言われる。)ところがその後、文化祭の準備で体使うことが多かったので、腰を痛めてしまい、そっちの方がしんどそうだった。動き方のコツを伝授(腰の落とし方、立ち仕事中の負荷の減らし方。)湿布も整形で出してもらったテープを分けてやり、生ゴムバンドも貸して、風呂はぬるめで浴びろと助言。我が家は洗面台や台所のシンクが古くて、位置が凄く低いので、朝の洗面から絶叫リスクある。学校でも駅でも電車でも動けなくなったら遠慮せず大声出すか声も出なかったら床でも壁でもバンバン叩くように言った。なまじ大きくなると助け求めるのが恥ずかしいとか言うから心配だ。

何だか酷い2週間だった。
9月15日ってまだまだ先だと思っていたのに明日だった。最近こんなんばっか。
ということは運動会まで1ヶ月切ったってことだ。早いな。


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2016年9月12日月曜日

ガス抜き遠足w

9月ってまだこんなに暑かったっけ?去年のアルバム見たら長そで着てて驚いた^^;前は頻繁に水族館へ行っていたみたいだ。1年前なのに遠く感じる。
次男(5歳児)が、最近、恐竜の動画漁りをしたり、図鑑を見るようになって、ステゴやプテラなど名前を略称で言う程にマニア度が増したので、科学博物館に連れて行った。(以前にも行ったがその時の記憶は殆どないと思う。)義弟が危なくなってから続いている、お出かけ自粛のガス抜きでもある。念のため、すぐ駆けつけられるよう車にした。
特別展は「海のハンター展」で、こちらも見たかったが、混んでいるのと体力持たなそうなので常設展だけにした。
世界館の地下。
最後にミュージアムショップでスピノサウルスのフィギュアを買って、満足したようだ。目を離した隙に夫が「ご当地キャップ」みたいなのを買っていた。服もチノのベージュ短パンだったので、それ被ったら「博物館おじさん」になった。博物館によくいる感じの人......。
帰りに河童橋の道具街を通りかかったらユニフォーム屋のビルの窓からマネキンが全員こっち見てた。ユニクロ銀座店と似ているが、ユニフォーム屋の方が断然狂気感じる。下はユニクロ。
上野なら電車にすることが多いので景色も新鮮味あったw


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2016年9月8日木曜日

出血が止まった

義弟その後
脳内出血が止まった。もうそれだけで「よくぞ止まってくれました!」と言いたい気分。ありがとうございます。

CT画像によると、ピンポン玉より少し小さいぐらいの血腫が左側頭部に残っている。記憶喪失と言語障害があり、家族の名前や、仕事で日常的に扱っていたマークを見せても名前が出て来ない。言おうとしているのに言葉が出て来ないのか、全く分からなくて思い出そうと考えているのか、その辺も不明。まだ口からは何も食べられず、嚥下もリハビリしないとできない。基本的にベッドを少し起こす程度にしか動けない。血腫は、血小板の値が上がらないと吸い出す処置もできないので、しばらく膠着状態だ。

おそらく周りは、思い出させようと話しかけたり、問いかけをすると思うのだが、もともと、義弟は細かいことに気が付く性格だから、瞬間的に「え!?これ分からない?」「うーんダメか......。」みたいな雰囲気を察知してしまうのではないかと心配だ。たとえ周りがそんな風に思ってなくても、答えられない質問を繰り返されるけで劣等感湧いてくるし、私だったら、早々にシャッター下ろして閉じこもると思う。どんなやりかたにせよ、今をスタート地点と考えて、楽な気持ちで居られると良い。あと、手を刺激して(触って)あげて欲しいんだよな~。血流良くなっちゃってダメかな。

(((大声で言えないのだが))) これには一応訳があって、昔、歌舞伎町の路上で、頭から血が出て仰向けに倒れたまま何の反応もしない男に出くわし、野次馬が(野次馬のくせに)絶対動かすな!と牽制してくるので、とりあえずギャーギャー言いながら手を擦り続けたら、ほどなく意識が戻り話せるまでになって......それ以来「手を握る/手をつなぐ」という行為が特別なものになった。今でも子どもが不安そうなとき私は必ず手をつなぐ。病気や疲れで体触られるのを嫌がる時でも手なら大丈夫だったりする。

どんどん話が逸れていくがw 何故そんな所をフラフラしていたのかというと、そこが帰り道だったからだ。独立して間もなく、喧嘩、流血など(たまに銃声も)割と普通に起こるような所に部屋を借りて「落ち着く」とほざいていた黒歴史。8年間に及ぶ寮生活の反動か。悪い言い方すると、閉塞空間・プライベート自由ほぼ無し・抑圧的縦社会。そこから出たは良いが、親元も嫌で、落ち着く場所を探すうち、人付き合いゼロで誰も助けてくれない代わりに目立たずに生きられる環境を選んだ。なのに、今にも死にそうな人間を見て気が動転し、自己を晒したという。(←野次馬に。)

それと、強くて長い抑圧からの反動は運が悪いと命取りになりかねない。この点は自分の育児で気を付けたいところだ。私は会社員のくせに、いまだに「集団」や「相互監視」が嫌いで、無駄だと思ってしまう。人生に正解などないというがw
西の空に薄明光線(天使のはしご)が見えた。左の斜線も山ではなく、光と影の境界。

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2016年9月6日火曜日

歯科通い 終わる

歯茎の膿胞放置して顎まで痛くなった件、治療がやっと終わった。

経過

ある朝、右のこめかみの激痛で口が開かなくなった。この頃、歯茎にニキビみたいな白い点ができてから1ヶ月ぐらい放置(様子見のつもり)していた。しかしこの時点で歯茎の膿とは別件だと思っていた。歯茎は痛みなし、膿が漏れ出てくるなどの不快な症状もなかった。

7月20日
まず顎を何とかしてほしいのに膿胞から治療し始めてなんで?と思ったら、炎症が神経を伝わって顎に出ているとのことだった。5日分の抗生剤と痛み止めもらい、消毒&ビタペックス充填をした。
※ビタペックスに含まれる水酸化カルシウムには強アルカリによる殺菌作用と、組織を刺激することによる硬組織形成作用がある。シリンジに入った黄色っぽい液体で、暫く特有の苦みが残る。

7月27日
薬飲みきっても良くならないので抗生剤を5日分追加。

8月3日、8日、17日、24日
消毒とビタペックスして経過観察。8月中旬には顎の痛みは小さくなったが、ずっと膿胞が消えなかった。

9月4日
やっと膿が止まり、終了となる。膿があった場所は少し輪郭が残っている。

私の場合「歯科嫌い」なのは「削られるのが嫌」なだけなので、今回のように薬塗るだけなら余裕綽綽。にしても!(お盆は休んだが)結局7回も通うことになって大変だった。患部は過去に神経を抜いた歯で、今までもちょくちょく繰り返してきたが、大抵自然に治って消えた。今回のように酷くなったのは初めて。

タイミング的にどうしても考えてしまうのが、血液の質が悪くなると、こんな感じで各所に影響出てくるのかということ。(ここは人体実験ブログかw)小さい炎症すら自力で治せない。人間の身体は小さい細胞の集まりで、その1個1個は常に細胞死したり細胞分裂することで入れ替わる。栄養だけでなく、各資材運搬も血液の役目。死骸回収するリンパ液も血液から分かれて出来て、最終的には血液に合流する。まあ、前向きに言いかえれば良くなる時も同じだ。皮算用的だが、LDLや中性脂肪値を下げることでいくつかの困った症状が綺麗さっぱり無くなるのかもしれない。
今朝トマトジュース飲んだ。美味しいねこれ。いや待てよ?前にもはまったことあるじゃん。何故やめた?

次回はもっと早く、酷くなる前に予約しよう。突貫工事にまで至らなくてよかった^^;

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2016年9月3日土曜日

悪いしらせきた

義弟入院先から9月1日午後、夫のもとに「危ない状態」との電話あり。

7月下旬に骨髄移植を受け、手術は成功し一旦は定着した。血小板の数値がなかなか上がらなかったが、それでも輸血をしながら、歩行などリハビリまでいった矢先の脳内出血。医師側も不測の事態であり、予断を許さない状況だと。

血腫が脳を圧迫するからか、意識が朦朧として記憶も飛び飛び。このまま圧が下がらず中枢神経が損傷すると呼吸が止まる場合もある。内出血の際に出る赤血球に含まれる「鉄」も神経障害を引き起こす原因になるそうだ。(これ一般的に、外科的なケガが治ったのに痛みを引きずるのと関係ある?)今日明日でどう、ということではないみたいだが、今後、会話や意思疎通が出来なくなるやもしれず、そうなる前に呼ぶ必要があると判断されたのだろう。意識が戻ったとしても後遺症が残るかもしれない。

脳外も入り、手術を検討するも、血小板数値がかなり悪く出血が止まらなくなるということで不可。血圧を下げ血小板を入れ続けるしかないとのこと。家族が病院の簡易ベッドで泊まるか近くのビジネスにするか、そういう話までになったそうだ。(子どもはいない。)

うちは泊まりこそ出来ないが、待機状態でいる。私は状態を詳しく知ることができたので、もっと具体的に念じるとしよう。(手術のとき死んだ弟と喋る体験をしてから、必要とあらば憚らずこういうこと言う。いいんだもう^^;)


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