東日本大震災から4年
あの日は子宮頸部に高度異形成(←しつこい)抱えたままの妊娠7ヶ月。地図上では自宅から18.5km離れた職場でいつものシゴト中だった。最初の揺れに「あっ」→「でかっ」→「!?」そして沈黙。同じに見える書類の山でも、デスクから崩れ落ちる度合に各々差が出たことに感心した。
囲碁将棋と鉄道が趣味のI さんは、同じ島(デスクをくっつけた塊)に居ても本人が見えないどころか、メモ用紙すらどう置けば本人の目に留まるのか悩む。でも殆ど崩れなかった!一方、消しカスをいつも人の方に払ってよこす、神経質なKさんはバッサバサ崩れて真っ赤な顔。「I さん、すげ=のね!」と皆で拍手した。I さんは腕組んで鼻で笑った。←ドヤ顔シャイVer.
ところで絶対電車止まってるよね。家には10歳の長男が独りで待っている。この時点で「無理に帰らずに留まる」選択肢はない。社屋に宿泊設備はないし、こんなこと言うようになったのは震災後だ。16時半ごろようやく、帰宅困難の恐れがあるので自主的に退社してOKとお触れが出たので、駅に向かった。電車が止まっているのを知っていても駅に向かうのは何故?
夫の親戚の家が近いので自転車でも貸してもらおうと路地に入ったら、丁度降車中のタクシーを見つけた。慌てて「次乗せて!」と乗り込む。運が良かった。
しかし結局家に着いたのは朝方4時。11時間もタクシーに乗っていた。都心からの道は途中全く動かなくなり、0時過ぎた頃から運転手は無線で仲間と愚痴り始め、タバコ良いですかね?と言いだした。妊婦であることを白状すると「えっ?それはいけねー!」と我慢してくれた^^;
コンビニが見えたので「ゆっくり買ってくるからその間吸っててよ。何か買ってこようか。何がいい?」と降りたは良いが、既にパンやおにぎりの棚が空っぽだった。とにかく腰が痛い!そして携帯が繋がらない。もういいや帰れれば。座席で津波と火事の映像を呆然と見ていた。あと、深夜割増しの料金も~^^;
長男とは「お湯が出なくて風呂に入れない。」「入らなくていい。先に寝てろ。」とやり取りしたのを最後に一切つながらなくなった。幸い大きい家具が倒れることもなく怪我はなかった。家に入ると、思ったほど荒れてる様子はなく、リビングのホットカーペットをつけてその上で丸まって寝ていた。
そして原子炉建屋が吹っ飛んで以降の大騒ぎで水が買えなくなった。いつも行くスーパーは、子連れ以外は母子手帳を見せたら一本だけ買えるシステム。産休中は毎日買いに行ったので、顔を覚えられたし(というか一目瞭然なお腹^^;)話しかけてくれた。あと、熊本に住む友達が水を探して送ってくれた。いろいろ思い出した。気にかけてくれて優しくしてくれて有難う。タクシーの運ちゃんも有難う。
そして今はもうすっかり危機管理への意識が薄れてしまった。忘れてはいけないな^^;
お付き合いくださり
有難うございました(。◕∀◕。)ノ
子宮頸がんを治療したい予防したい |
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