脳内出血が止まった。もうそれだけで「よくぞ止まってくれました!」と言いたい気分。ありがとうございます。
CT画像によると、ピンポン玉より少し小さいぐらいの血腫が左側頭部に残っている。記憶喪失と言語障害があり、家族の名前や、仕事で日常的に扱っていたマークを見せても名前が出て来ない。言おうとしているのに言葉が出て来ないのか、全く分からなくて思い出そうと考えているのか、その辺も不明。まだ口からは何も食べられず、嚥下もリハビリしないとできない。基本的にベッドを少し起こす程度にしか動けない。血腫は、血小板の値が上がらないと吸い出す処置もできないので、しばらく膠着状態だ。
おそらく周りは、思い出させようと話しかけたり、問いかけをすると思うのだが、もともと、義弟は細かいことに気が付く性格だから、瞬間的に「え!?これ分からない?」「うーんダメか......。」みたいな雰囲気を察知してしまうのではないかと心配だ。たとえ周りがそんな風に思ってなくても、答えられない質問を繰り返されるけで劣等感湧いてくるし、私だったら、早々にシャッター下ろして閉じこもると思う。どんなやりかたにせよ、今をスタート地点と考えて、楽な気持ちで居られると良い。あと、手を刺激して(触って)あげて欲しいんだよな~。血流良くなっちゃってダメかな。
(((大声で言えないのだが))) これには一応訳があって、昔、歌舞伎町の路上で、頭から血が出て仰向けに倒れたまま何の反応もしない男に出くわし、野次馬が(野次馬のくせに)絶対動かすな!と牽制してくるので、とりあえずギャーギャー言いながら手を擦り続けたら、ほどなく意識が戻り話せるまでになって......それ以来「手を握る/手をつなぐ」という行為が特別なものになった。今でも子どもが不安そうなとき私は必ず手をつなぐ。病気や疲れで体触られるのを嫌がる時でも手なら大丈夫だったりする。
どんどん話が逸れていくがw 何故そんな所をフラフラしていたのかというと、そこが帰り道だったからだ。独立して間もなく、喧嘩、流血など(たまに銃声も)割と普通に起こるような所に部屋を借りて「落ち着く」とほざいていた黒歴史。8年間に及ぶ寮生活の反動か。悪い言い方すると、閉塞空間・プライベート自由ほぼ無し・抑圧的縦社会。そこから出たは良いが、親元も嫌で、落ち着く場所を探すうち、人付き合いゼロで誰も助けてくれない代わりに目立たずに生きられる環境を選んだ。なのに、今にも死にそうな人間を見て気が動転し、自己を晒したという。(←野次馬に。)
それと、強くて長い抑圧からの反動は運が悪いと命取りになりかねない。この点は自分の育児で気を付けたいところだ。私は会社員のくせに、いまだに「集団」や「相互監視」が嫌いで、無駄だと思ってしまう。人生に正解などないというがw
西の空に薄明光線(天使のはしご)が見えた。左の斜線も山ではなく、光と影の境界。
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有難うございました(。◕∀◕。)ノ
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