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2017年4月15日土曜日

やるべき事は枷ではない

独り言みたいなもんです^^;
実際、この世に生まれてからずっと、私は必ず何かの集団に属してきた。家族、学校、寮、会社......。意識すると、ホントに自分がちっぽけで、単体では価値が無い。自分の事は後回し。それが大人だと思ってきた。趣味や遊びは余った時間に、許可されたら出来る。でも時間があるなら人を手伝うべき。子ども育てている間は、定年までは、我慢が基本。スケート行く日は休みを潰す日。ごめんごめんと言い続ける。止めてほしいと思われているんだろうな、とか。

ある日、私が仕事に行き夫が有給を取った。さぞかし自由を満喫しただろう。温泉でも行ったかな。楽しい話が聞けるだろうと思いながら帰宅すると、玄関にスリッパがなく物音がするのに電気がついてない。リビングに入ると空気がどんよりして「うわっ」と思った。あまりの不活発さ。テレビ見る体勢で顔だけこちらを向け、つぶやくような「おかえり」その時は次男の、あっけらかんとした存在が救いだった。

私は自分から考えを変えることにした。私は、属しているというよりも、その集団を構成している一つだと設定し直した。パーツは健全でなければいけない。そこから腐ってしまう。具体的には仕事も家事も親業もやった上でスケートをしたりフラフラ歩き回ったりする。私は集団に居ながらどれも全部やりたい。全部やりたいのが私だ。それを否定してはならない。シゴトはちゃんとするよ。パーツだから。

やるべき事はやって当たり前。その上で物を考えるのは自由だ。楽しい事考えたら、思いついたら、実現したくなるだろ?時間作ろうと工夫するだろ?知恵と経験があるなら、素晴らしいアイデアが浮かぶはずだよな?いっくら考えても良い。そしていざ時間が出来たらサッと実行。それには日ごろからサッサと動くこと。栄養を使う所には栄養が行くようになる。人は変われる。

「私利私欲を捨てる」これが先に立ち、はき違えると、引いて、引いて、これでもかと引いて、最後は自分が無くなってしまう。人を機械の代わりだと思ってるやつにはその方が都合良いのかもしれない。私は機械じゃなく人と暮らしたい。(※猫でも可)だから夫にもサラッと言った。あんたも何か好きな事やれ。じゃないと、今持ってる夢が、いざ自由になった頃には、面倒くさくなって、結局実現しないまま、ある日突然終わるか、代わりの余計な事に金を使い果たして死ぬことになるぞ、と。結局子ども達も、身近な大人の姿を見て将来を思い描くのだ。「なりたくない」手本より「なりたい」手本になろう。なれなくても努力しよう。
昨年運動会で貰ったチューリップも咲いてた

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