まとめページ

2016年9月14日水曜日

そして全員風邪ひいた

まず長男と私がほぼ同時に具合悪くなった。2人とも37.5℃ぐらいの微熱で、鼻水咳は出ない。長男は塾を休んだ。「微熱ですが休ませます。」と言ったら、塾長が「ええ!はい!ぜひそうしてくださいお大事にっ!」って被せてきて、船橋市の塾で起きた結核の集団感染のことを思い出した。つい「授業1回いくら」で勘定して月謝勿体ないから微熱ぐらいなら行け!とか思ってしまうが、いかんわな。私は会社で調子がおかしくて、じっとしていられないような感じだったが、「熱を測る」ということを思いつかず、そのまま仕事していた。子どもの熱は真っ先に測るくせに自分の時は思いつかないw 私は初日の微熱だけで治った。

そのすぐ後に次男が熱を出した。朝・昼は37度ぐらいでも夕方は38度まで上がる。咳き込んでなかなか寝付けないし、夜中何度も起きる。目が片方だけ二重になって、その後両目とも二重になった。保育園は行けない。さて仕事どうするかだ。夫が全休、私が午後半休で決着。午前中は夫がみて、午後から交代し、夫は義弟の見舞いへ、私が次男を病院へ連れて行くことにした。

医師に、「使うかどうかは様子次第で決めるが書いてほしい。」とお願いし、「診療情報提供書」をもらった。ちなみに、うちの区は中学生までのこどもの医療費は全額無料。こうした文書も薬も無料なので病院へ連れて行くのに財布が要らない。翌日、何とかなりそうだったのと、本人が担当の看護師大好きで^^;行きたがったので病後児保育室(1日2,350円)を利用した。それ以外にもカメを飼っていたり、いつもと違うおもちゃがあったりで、そそられるらしい。実はこの頃、遠足を控えていたので大事をとる人が多くて混んでいたのだが、キャンセルが出たお蔭で入れた。半分寝て過ごせるし食事も個別なので回復期に1日でも利用できれば御の字である。迎えに行った時の様子で、翌日も利用しようかと思ったが、「もう元気です。」と言われたので通常に戻した。

次男の薬は、始めは解熱鎮痛と諸症状を楽にする薬だけだったが、再受診時に抗生剤3日分も追加された。喉は扁桃腺肥大、胸の音聞いたら少々アレルギーがあると言われた。この間夫も、怠くて喉がおかしいと言い、咳ばらいばかりして、龍角散を飲んでいた。

長男は咳も鼻も出なかったので、病院は行かず、家でカロナール飲んで寝て治した。1日ぐらい食べなくても大した影響ない。(←とよく医者に言われる。)ところがその後、文化祭の準備で体使うことが多かったので、腰を痛めてしまい、そっちの方がしんどそうだった。動き方のコツを伝授(腰の落とし方、立ち仕事中の負荷の減らし方。)湿布も整形で出してもらったテープを分けてやり、生ゴムバンドも貸して、風呂はぬるめで浴びろと助言。我が家は洗面台や台所のシンクが古くて、位置が凄く低いので、朝の洗面から絶叫リスクある。学校でも駅でも電車でも動けなくなったら遠慮せず大声出すか声も出なかったら床でも壁でもバンバン叩くように言った。なまじ大きくなると助け求めるのが恥ずかしいとか言うから心配だ。

何だか酷い2週間だった。
9月15日ってまだまだ先だと思っていたのに明日だった。最近こんなんばっか。
ということは運動会まで1ヶ月切ったってことだ。早いな。


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2016年9月12日月曜日

ガス抜き遠足w

9月ってまだこんなに暑かったっけ?去年のアルバム見たら長そで着てて驚いた^^;前は頻繁に水族館へ行っていたみたいだ。1年前なのに遠く感じる。
次男(5歳児)が、最近、恐竜の動画漁りをしたり、図鑑を見るようになって、ステゴやプテラなど名前を略称で言う程にマニア度が増したので、科学博物館に連れて行った。(以前にも行ったがその時の記憶は殆どないと思う。)義弟が危なくなってから続いている、お出かけ自粛のガス抜きでもある。念のため、すぐ駆けつけられるよう車にした。
特別展は「海のハンター展」で、こちらも見たかったが、混んでいるのと体力持たなそうなので常設展だけにした。
世界館の地下。
最後にミュージアムショップでスピノサウルスのフィギュアを買って、満足したようだ。目を離した隙に夫が「ご当地キャップ」みたいなのを買っていた。服もチノのベージュ短パンだったので、それ被ったら「博物館おじさん」になった。博物館によくいる感じの人......。
帰りに河童橋の道具街を通りかかったらユニフォーム屋のビルの窓からマネキンが全員こっち見てた。ユニクロ銀座店と似ているが、ユニフォーム屋の方が断然狂気感じる。下はユニクロ。
上野なら電車にすることが多いので景色も新鮮味あったw


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2016年9月8日木曜日

出血が止まった

義弟その後
脳内出血が止まった。もうそれだけで「よくぞ止まってくれました!」と言いたい気分。ありがとうございます。

CT画像によると、ピンポン玉より少し小さいぐらいの血腫が左側頭部に残っている。記憶喪失と言語障害があり、家族の名前や、仕事で日常的に扱っていたマークを見せても名前が出て来ない。言おうとしているのに言葉が出て来ないのか、全く分からなくて思い出そうと考えているのか、その辺も不明。まだ口からは何も食べられず、嚥下もリハビリしないとできない。基本的にベッドを少し起こす程度にしか動けない。血腫は、血小板の値が上がらないと吸い出す処置もできないので、しばらく膠着状態だ。

おそらく周りは、思い出させようと話しかけたり、問いかけをすると思うのだが、もともと、義弟は細かいことに気が付く性格だから、瞬間的に「え!?これ分からない?」「うーんダメか......。」みたいな雰囲気を察知してしまうのではないかと心配だ。たとえ周りがそんな風に思ってなくても、答えられない質問を繰り返されるけで劣等感湧いてくるし、私だったら、早々にシャッター下ろして閉じこもると思う。どんなやりかたにせよ、今をスタート地点と考えて、楽な気持ちで居られると良い。あと、手を刺激して(触って)あげて欲しいんだよな~。血流良くなっちゃってダメかな。

(((大声で言えないのだが))) これには一応訳があって、昔、歌舞伎町の路上で、頭から血が出て仰向けに倒れたまま何の反応もしない男に出くわし、野次馬が(野次馬のくせに)絶対動かすな!と牽制してくるので、とりあえずギャーギャー言いながら手を擦り続けたら、ほどなく意識が戻り話せるまでになって......それ以来「手を握る/手をつなぐ」という行為が特別なものになった。今でも子どもが不安そうなとき私は必ず手をつなぐ。病気や疲れで体触られるのを嫌がる時でも手なら大丈夫だったりする。

どんどん話が逸れていくがw 何故そんな所をフラフラしていたのかというと、そこが帰り道だったからだ。独立して間もなく、喧嘩、流血など(たまに銃声も)割と普通に起こるような所に部屋を借りて「落ち着く」とほざいていた黒歴史。8年間に及ぶ寮生活の反動か。悪い言い方すると、閉塞空間・プライベート自由ほぼ無し・抑圧的縦社会。そこから出たは良いが、親元も嫌で、落ち着く場所を探すうち、人付き合いゼロで誰も助けてくれない代わりに目立たずに生きられる環境を選んだ。なのに、今にも死にそうな人間を見て気が動転し、自己を晒したという。(←野次馬に。)

それと、強くて長い抑圧からの反動は運が悪いと命取りになりかねない。この点は自分の育児で気を付けたいところだ。私は会社員のくせに、いまだに「集団」や「相互監視」が嫌いで、無駄だと思ってしまう。人生に正解などないというがw
西の空に薄明光線(天使のはしご)が見えた。左の斜線も山ではなく、光と影の境界。

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2016年9月6日火曜日

歯科通い 終わる

歯茎の膿胞放置して顎まで痛くなった件、治療がやっと終わった。

経過

ある朝、右のこめかみの激痛で口が開かなくなった。この頃、歯茎にニキビみたいな白い点ができてから1ヶ月ぐらい放置(様子見のつもり)していた。しかしこの時点で歯茎の膿とは別件だと思っていた。歯茎は痛みなし、膿が漏れ出てくるなどの不快な症状もなかった。

7月20日
まず顎を何とかしてほしいのに膿胞から治療し始めてなんで?と思ったら、炎症が神経を伝わって顎に出ているとのことだった。5日分の抗生剤と痛み止めもらい、消毒&ビタペックス充填をした。
※ビタペックスに含まれる水酸化カルシウムには強アルカリによる殺菌作用と、組織を刺激することによる硬組織形成作用がある。シリンジに入った黄色っぽい液体で、暫く特有の苦みが残る。

7月27日
薬飲みきっても良くならないので抗生剤を5日分追加。

8月3日、8日、17日、24日
消毒とビタペックスして経過観察。8月中旬には顎の痛みは小さくなったが、ずっと膿胞が消えなかった。

9月4日
やっと膿が止まり、終了となる。膿があった場所は少し輪郭が残っている。

私の場合「歯科嫌い」なのは「削られるのが嫌」なだけなので、今回のように薬塗るだけなら余裕綽綽。にしても!(お盆は休んだが)結局7回も通うことになって大変だった。患部は過去に神経を抜いた歯で、今までもちょくちょく繰り返してきたが、大抵自然に治って消えた。今回のように酷くなったのは初めて。

タイミング的にどうしても考えてしまうのが、血液の質が悪くなると、こんな感じで各所に影響出てくるのかということ。(ここは人体実験ブログかw)小さい炎症すら自力で治せない。人間の身体は小さい細胞の集まりで、その1個1個は常に細胞死したり細胞分裂することで入れ替わる。栄養だけでなく、各資材運搬も血液の役目。死骸回収するリンパ液も血液から分かれて出来て、最終的には血液に合流する。まあ、前向きに言いかえれば良くなる時も同じだ。皮算用的だが、LDLや中性脂肪値を下げることでいくつかの困った症状が綺麗さっぱり無くなるのかもしれない。
今朝トマトジュース飲んだ。美味しいねこれ。いや待てよ?前にもはまったことあるじゃん。何故やめた?

次回はもっと早く、酷くなる前に予約しよう。突貫工事にまで至らなくてよかった^^;

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2016年9月3日土曜日

悪いしらせきた

義弟入院先から9月1日午後、夫のもとに「危ない状態」との電話あり。

7月下旬に骨髄移植を受け、手術は成功し一旦は定着した。血小板の数値がなかなか上がらなかったが、それでも輸血をしながら、歩行などリハビリまでいった矢先の脳内出血。医師側も不測の事態であり、予断を許さない状況だと。

血腫が脳を圧迫するからか、意識が朦朧として記憶も飛び飛び。このまま圧が下がらず中枢神経が損傷すると呼吸が止まる場合もある。内出血の際に出る赤血球に含まれる「鉄」も神経障害を引き起こす原因になるそうだ。(これ一般的に、外科的なケガが治ったのに痛みを引きずるのと関係ある?)今日明日でどう、ということではないみたいだが、今後、会話や意思疎通が出来なくなるやもしれず、そうなる前に呼ぶ必要があると判断されたのだろう。意識が戻ったとしても後遺症が残るかもしれない。

脳外も入り、手術を検討するも、血小板数値がかなり悪く出血が止まらなくなるということで不可。血圧を下げ血小板を入れ続けるしかないとのこと。家族が病院の簡易ベッドで泊まるか近くのビジネスにするか、そういう話までになったそうだ。(子どもはいない。)

うちは泊まりこそ出来ないが、待機状態でいる。私は状態を詳しく知ることができたので、もっと具体的に念じるとしよう。(手術のとき死んだ弟と喋る体験をしてから、必要とあらば憚らずこういうこと言う。いいんだもう^^;)


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